hu6bemse7222’s diary

ピーナッツ

無駄が生み出す価値

この本を読めばアイデアが出るとか、何かを得るためにコンテンツを消費するって良いのかな?って思うんですね。20代くらいの若い子たちと話したとき、「この音楽使える」とかすごい言葉を使っていたんですね。音楽は"感動する"とか、"すげえ"とかじゃないのかと。"使える"という形容詞を音楽につける世代が現れたかと思いました。本屋にしても、基本は本を読むまでそれがその人にとって役に立つか立たないか分からない。でもそれでいいじゃんとも思っていて、無駄なものはいっぱい消費した方がいいし、無駄なものを消費している人の方が絶対に豊かになれるんじゃないかという勝手な仮説で雑誌と本屋をやっている感じですね。

無駄と欲望

ネットは必要なものに対して直線的に結論を目指すものですけど、一方で雑誌は、余計なものに寄り道しながら結論にたどり着くもの。いまの世の中、直線的に結論にたどり着こうとしている人が多いですが、自分は無駄なものからアイディアは生まれると思っているので、寄り道をしながら結論を探すというほうが好き。迂回性における物事の発見とか、多面的に物事を見るためのツールという意味においては、ひとつのキーワードを掘り下げる雑誌はネット検索よりも優れたパッケージだと思うんです」

 

人は、顕在化されている欲望に応えてくれてもあまり価値を感じないんですよ。まだ自分の欲しいものがわかっていないときに、それを教えてくれることのほうが価値を感じるわけです。だってAmazon村上春樹の本が見つかっても、『ありがとう! Amazon』とは思わないじゃないですか。だから、そういう意味において、マーケティングしすぎる雑誌は、既存の欲望にしか応えていないわけです。本来、雑誌という媒体は、既存の欲望に対して応えるよりも、人々に新しい欲望を発見させるということで機能すべきものだと思いますね。常に顕在化している欲望に応えても、人はそんなに感謝してはくれない。気づいていないものに気づかせてくれたほうが絶対に感謝するんですよね。だから雑誌ってファンが増えるんです」

 

http://top.tsite.jp/lifestyle/magazine/i/24772608/index

 

 

ミュージカル映画の秘密

ミュージカルには社会問題を取り上げている。

 

「ヘアスプレー」

太った女子がミュージカル、音楽やダンスやりまくって彼氏ゲット〜、さらにテレビにまででる。

みたいな

可愛いだけじゃなくて、太ってるでも認められて行く過程がいいんだよね。

あらゆる問題について、葛藤があり、行動があり、前向きな解釈、そして未来を見せていく

それを歌って元気になっちゃうところがストーリとしてある。

 

「グリー」もそうで、

スクールカーストを描いてて、

歌うことによって開放される。歌うことによって理解し合える、協調し合える、そして未来を開いていくという話で。これはとにかく言ってみれば『ズートピア』なんだよね。

http://logmi.jp/197944

 

ラ・ラ・ランド」では社会問題と言っていいかわからないけど、この映画が投げかけるのは、「夢と現実の折り合いをどうつけて生きていくのか」という、きわめて現代的でシビアな問いなんだよね。

今の時代を生きる誰もが抱える「自分探し」の物語。

それに対してチャゼル監督は、

「究極のテーマは、夢を追いかけるということだよ。星に向かって手を伸ばし続けるのは、それ自体が美しいことなんだ」と答えている。

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO13305530U7A220C1000000?channel=DF280120166614&page=2

 

課題に対して、こみ上げる思いを歌にする

そこに感動と共感、自分たちの思いを歌にして表現していくことができるような気がする。

 

だから、ミュージカル映画っていいんだよな

これがミュージカル映画の秘密なんだよ

 

グレイテストショーマン

感動的な映画ではあるが、

どこに感動したのか。

 

ユニークな人達が(差別的要素をオブラートに包んだ表現)認められ、彼ら彼女なりの家族を見つけたストーリーは感動している、

ただそれだけで、大衆を引きつけるほどの大ヒットになり得たのか。

 

ここに歌という一致団結する要素が大きいと考える。

皆が同じ歌を歌い、その内容が心に響けば響くほど、その爆発力は大きく、浸透して行く。

 

「this is me」

タイトルから伝わる力強い歌。

大衆を震わせ一人一人に「this is me」が刻まれたのだろう

 

 

POPEYE

二十歳のとき、何をしていたか?

 

君たちはどう生きるか

の大ヒットから派生して生まれた企画なのだろう。

 

今では、何者かになれている彼ら、彼女らも

実は二十歳の時って何者でもなかった。

 

恥ずかしい思い出、その時の思想や行動。

しかし、それは無駄となるのではなく、今の彼らの一部となっている。

 

感性だけを信じ、貫き、もがいていた二十歳

 

 

彼らが歩んで来た道は細く、時には大きく

ぶつかるものすべてを飲み込み形成されて行く。

 

読者はそのファンタジーを楽しめる。

無駄はない、すべては繋がっている。

 

日々の違和感の気づきパート2

日々、めんどくさいなあ

どうしたらいい?

 

という仮説を貯めておいて、

 

それで検索結果を見る。

 

最初に検索結果ー、とか、

書店ーとか言ってしまうと最初からゴールに向かって言ってしまうんだよなー

 

これ、今の数字ばかりの会社にこそ必要な考え、

 

人の所感を捉えて数字を見るって